有名遭難事故の検証1 吾妻連峰 1994年2月

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遭難事故の検証といえば、羽根田治氏が第一人者です。


ヤマケイ文庫 十大事故から読み解く 山岳遭難の傷痕【電子書籍】[ 羽根田 治 ]


参考 国土地理院web地図に作画して引用https://maps.gsi.go.jp/

   ヤマレコhttps://www.yamareco.com/

はじめに

事故の詳しい内容は、採り上げません。
ここでは、事故を参考としてこの山と登山道について、検証します。

事故の概要

吾妻連峰に山スキー登山に行き、天候急変を主原因とし、前夜の宴会による疲労を副原因として、視界を失って道迷いを起こし行動不能になり、低体温症により遭難した。


山の地図

広域地図


凡例 斜めの赤い線=磁北線
   赤い線=尾根
   緑色=ピーク(山頂)


この事故の舞台となったのが、家形山です。

いわゆる吾妻連峰の一つです。

吾妻連峰は、全部の山頂が連なっているのではありません。
家形山とその東西北に伸びる尾根の連なりはありますが、地図内にある吾妻小富士、東吾妻山、中吾妻山などは、独立峰となっています。
火山群の特色を表しています。


家形山拡大地図


凡例 青い線=谷
   紫色=岩
   茶色=崖


この事故については他の多くのメディアでも詳しく取り上げられているので、所々に聞いたことのある特徴的な地名や建物があることでしょう。

遭難者がたどった経路は、前日は右下の慶応吾妻山荘に泊まらず、黄色い円マーカーの位置にある家形山避難小屋に泊まったというものです。
翌日に、小屋を出発し家形山北尾根に登り、そこから北へ下り、西ろくの道に行こうとして吹雪による視界喪失のためその分岐を発見できず、遭難したというものです。


地形の特色

家形山(標高1873メートル)から北に伸びる尾根が、あります。

枝分かれしているうち、主尾根は霧ノ平(標高1333メートル)近くの岩や崖付近に伸びているものです。
家形山山頂から霧ノ平までの距離は、約2キロメートルです。

なお、意識を失い残された遭難者が発見された場所は、この地図の中央、ピーク1579付近といわれています。
そこは、家形山の山頂から1キロメートル、家形山避難小屋への下り口からわずか300メートル足らずの場所でした。


霧ノ平拡大地図


凡例 黄色い円マーカー=西ろくの道への分岐点2か所

この分岐点が、遭難した人たちがついに発見できなかった場所です。
情報によれば、遭難者たちはこの地図の区域にさえ到達できなかったようです。
(このすぐ南にある1403ピークをこの地図のずーっと北にある高倉山と間違えて、引き返している)


地形の検証

南北に伸びる登山道は、家形山から北に伸びる尾根の上にあります。

この尾根は、西ろくの等高線の間隔が非常に狭いことから西側が急傾斜になっています。

東側には谷があるのですが、等高線の間隔が非常に広く、谷地形はそのだだっ広いなかに隠れていて緩やかに起伏のあるほぼ平らな地形になっています。
「霧ノ平」という地名が、それを物語っているようです。

植生は、明確に分かれています。
紫色で示した岩付近までは、針葉樹林帯。
そこから先は、荒れ地記号。つまり森林限界で、木が生えていません。


気象の検証

遭難当日は、低気圧通過後の強い西風にさらされていました。

つまり尾根の上は、吹き曝し。
2月の尾根上の気温は氷点下確実。そこに強風が吹けば、体感はマイナス20度、30度。


登山道の状況

遭難前日 登山口(旧スキー場の最上部)~家形山避難小屋 4キロメートル

遭難当日 家形山避難小屋~西のふもと予定 4.7キロメートル

アップダウン状況図


急登部分は、家形山北ろくの避難小屋への分岐点から少しの間と、霧ノ平分岐から西に下る箇所だけで、あとはほぼ平坦、あるいは緩やかな登りという道です。

なお家形山避難小屋に至る道はすべて、冬季以外は藪漕ぎが必要な難路となっています。

ルートに関しては、西ろくに下る道以外はアップダウンという面では危険性が少ないが、藪漕ぎ難路や西ろくの下山難度から、中級ルートと考えられます。


分岐状況地図

その1


凡例 黄色い円マーカー=目印
   ピンク色の矢印=登山者の自由な行動

この地図の区域では、迷いの要素はありません。

硯石以西が、難路として評価されているというだけです。

家形山避難小屋からは、現在は南に行くバリエーションルートが歩かれているようです。
遭難者たちは北西に行きましたが、トラバースして行ったため迷いの要素はあまりありません。


その2


この2つの分岐は、もし標識が無いとすると発見が非常に困難になります。


分岐というと通常は、地形的に支尾根が伸びていたり、谷が伸びていたりします。

しかしここには、伸びている支尾根がありません。

つまりこの先の道は、自然の中に存在しません。


標識がない場合、人の踏み跡をたどるか、GPSで現在位置を確認するしか、道の発見方法はありません。

遭難当日は、吹雪で視界がないホワイトアウト状態。しかも、地面が雪に覆われている。
つまり、標識がないのと同じ状態でした。


まとめ

ルートは、中級程度。

ただし分岐点は、標識がない場合は非常に不明瞭。

2025年現在だと、同じ気象条件でもGPSを使えばなんとか行けるかもしれません。
1994年当時では、たとえ前夜に宴会をしていなくても、山行は無理でした。

当時の取るべき遭難防止策は、遭難当日の山行を中止し東の福島駅に引き返すことでした。

もちろん遭難の危険がある気象条件になると分かっていれば、という話です。
当時のこの遭難者は、ラジオを持っていなかったため、この気象条件になるという情報を入手できていません。

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